-第十話 「Rasta & Rudy」-
大阪に限らず80年代のジャパニーズレゲエシーンと云うのは「Roots」が主で一般的に認知されて
いたのはBob "King"MarleyかJimmy Cliffくらいで「ディスコ」が流行ってる中 UKのMusicianが
こぞってReggaeRydimを使ったおかげでThirdWorld, Aswad, はたまたBlack Ufuluなんかがディスコ
でかかっていた。 ただ、本質は「夏だ!レゲエだ!!」 ぐらいでしたわ・・・・・
80年代中頃にそれまでのHipieStyle ReggaeからRudy Bwoy Styleへ「進化」したものがDanceHall
Styleやと私は考えております。別に「進化」と云っても「良くなった」ではなく 本当のReggaeをJama
icaで見てきたからであった。そう云う私もその中の一人である。今から思えばホンマに「古き良き時
代」でした。みんなアホでした・・・・・。 まずは「Rasta] 当時はHippieが多かったな〜。
インドかジャマイカみたいな感じでね〜。ハーブ有り、「飛び道具」好き〜とかドウンとへとかね〜。
本当に凄かった。レゲエパーティーやコンサートともなれば酔っ払いと兎の目をしたドレッドやシャキ
軍団、ヘたり野郎らの集いやったです。 私が記憶してるなかで印象深いのは福島の「ダイナマイト」
やな。 名前のとおり爆発やってたなぁ。 バーチュルーム(トイレ)にいく通路で倒れている男女。
へたっているものをかいくぐっていかないと辿り着けなかったClubでした。
そんなシーンのなかで日本的ラスタマンの特徴を述べてみよう・・・・・・・・。
まずはファッション。まぁラスタと云えば「ドレッド」 これは当時パーマ屋でしてくれる訳がなく、自分で
手間暇かけてする人とHippieStyleのロン毛。 しかもコム(くし)は入れない。着るものはダントツでバリ
かインドのスウェットパンツみたいなん。それにT-Shirts 裸足やぞうり系統で決まりでヤギひげがのび
てるとムチャやばかったなぁ〜。習性は主におとなしいけど理屈っぽい。生き方・考え方にこだわりを
もっているだけにエグ〜い人もおりました。Jamaicaへ行ってBaggaのところへ出向く者もおったりして
濃い〜人たちです。 但し見てくれだけでDubとサイケでパロってるだけの人も多かったわ。
そしてRuddyのファッションは主にKangolHutとRastabelt, Clarks Shoesできまりやな。
革靴でなければNIKEや当時Run DMCの影響でadidasなんかでしたネ。 今でこそスーパーでもNIKE
なんか売ってるけど当時は自分でアメリカまで行って買ってこなあかん シロモノでした。
とにかく最低でもソウルまで行って買い物しないと「Ruddy Fashion」はまったく出来ない時代でそれなり
に苦労してました。カッコウがつけばそれから後はRiddimPosseやパーティ、コンサートにくりだしていま
したがいかんせん狭い世界でどこへ行っても同じ顔ぶれです。まぁそれが現在(2k6)のレゲエシーン
の素であって現在でも大なり小なり同じスタイルでもあると思います。
次章では具体的な人名等だして話したいと思ってます。
それでは〜 Go So 〜
第十一話 「FASHON」